吉田屋の歴史

 

〜時代背景・下市町〜

その昔、京都や奈良を中心とする天皇や貴族の金峯山信仰が盛んになると共に、下市は仏教文化の影響を受け、歴史的にも特異な存在となっていき、平安時代になると、貴族や有力社寺が荘園経営の為大挙して下市に進出し、活況を呈することになりました。

「下市」というのは「上市」に対する呼称で、吉田屋付近に流れている秋野川が当時、吉野地方の入り口であったため、中世以降、交易が盛んになり、毎月27日は、「市」が開かれた事によります。

天文5年(1536年)頃には、「山家なれども下市は都、大阪商人の津でござる」とうたわれ、日本最初の商業手形「下市札」が発行されました。以降商工業都市として、あるいは願行寺の寺内町として目覚しい発展を遂げ、吉野地方の中心的な存在として政治・経済・文化の上でも重要な役割を果たしてきました。

慶応3年(1867年)大政奉還後維新政府が出現すると、翌年4年(1868年)には奈良県が誕生、明治21年(1888年)に町村制が公布され、翌22年(1889年)に下市村以下11ヶ村が統合され、下市村が誕生、翌年明治23年(1890年)41日、下市村は下市町として発足しました。

 

 

 

〜吉田屋創業から現在に至るまで〜

こうした時代背景の下、創立者吉田ミネは明治15年(1882年)「吉田屋」を創業しました。

【写真右・ミネ、左・娘キヌ

 

 

 

【写真中央・ミネ 皆着物姿や結い上げている髪型から明治の頃の様子がよく分かる一枚】

 

 

 

当時下市は大峰山へ登る修験者の為の宿場町でした。交通がまだ発達しておらず、下市口駅で降り立った修験者達は、宿場に架かる千石橋を渡り、約10里(40km)の道を大峰山まで歩いたといわれています。下山してきた修験者たちの精進揚げと宿泊の場となる下市にて「吉田屋」は、山上参りの山伏達のために、土産物として葛や乾物、菓子等を製造し、

下市の旅籠(各旅館)に、売りに行ったのがその始まりです。

 

 

 

【写真左・二代目小一郎】

 

 

 

近年は、製造の自動化が進み、菓子作りの風景も一変しましたが、その頃、「吉田屋」には20人程の職人がいて、いろんな菓子を手作りで作っていました。

 

昭和39年頃吉田屋前にて家族や親戚当時の職人も交えた一枚】

 

団子や、羊羹、生姜糖、柿菓子等わざわざ吉野山からもリヤカーで買い付けに来ていたということです。当時は、いろんな物を考案し、試行錯誤していたと思われる様子がその頃のしおりからうかがえます。

 

 

昨今の目まぐるしい時代変化の中にあっても、その時代にあったお菓子を作ることで幅広い層のお客様からも受け入れられる様日々工夫して参りました。

 

【写真右・三代目大助】

 

80年間変わらず作り続けている葛餅(羽二重餅)や、寒い季節にはぴったりの葛湯、木型に起こした美しい葛菓子(干菓子)、葛わらび餅や葛ごまどうふなど、今日に渡り沢山の 葛製品を謹製し続けて参りました。

近年では欧米化していく食生活の中、日本に昔からある食材のひとつ「葛」のおいしさ 力強さを次世代に伝えるべく五代目の新しい葛菓子作り「ゆるり」をスタートし始めました。先代から受け継がれた知恵と技術を生かしながら、ここ奈良吉野より変わらぬ味を 皆様にお届けさせて頂けるよう、感謝の気持ちと共に努めて参ります。

これからも「吉田屋」を何卒ご用命・ご愛願の程よろしくお願い申し上げます。

 

 

 




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